Category: 沈思黙考

コロナ禍、「元に戻さない」ために

今回の新型コロナウイルス問題で、社会機能や日常生活が揺らいでいる。元に戻りたいというのが多くの人の率直な気持ちだろう。しかし、これが長期戦になるにしても、あるいは残念ながら感染爆発の後に集団免疫を得るとしても、元の状態に戻るのではなく、新しい社会の仕組みを創生しようとする方向性だけは共有したほうが現実的ではないかという気がしている。

(再掲)新型コロナ、見捨てられた人からの逆襲

「存在しないことになっている人」「社会とのつながりを実感できない人」が、(彼らの意図に関わらず)結果として今回の感染拡大に拍車をかけてしまっているような気がしている。だとすれば、「アフター・コロナ」の社会は、社会的包摂(ほうせつ)ということについて、より真剣に考えておく必要がある。

定点カメラでステイホーム

自宅で過ごす方法について、ネットを活用した提案があれこれと出てきているが、ほぼすべて「体を動かそう!」「歌おう!」「こんなことをやってみよう!」といったアクティブなものばかりだ。もちろんそれは良いことなのだけれど、たまには落ち着いたパターンもいいのではないか、という提案である。

新型コロナ、見捨てられた人からの逆襲

「存在しないことになっている人」「社会とのつながりを実感できない人」が、(彼らの意図に関わらず)結果として今回の感染拡大に拍車をかけてしまっているような気がしている。だとすれば、「アフター・コロナ」の社会は、社会的包摂(ほうせつ)ということについて、より真剣に考えておく必要がある。

新型コロナ、前向きで建設的な批判を

新型コロナウィルスの感染拡大に関連した多くの問題に対して、さまざまな批判が挙がっている。
しかし批判といいながらその実、不安と苛立ちの中から出てくる単なる文句や、根拠も提案もなく、ただ騒ぎ立てるだけの「批判」もある。
いま日本人は、批判精神とはなにかを再確認し、脊椎反射のような文句ではなく、視野を広くし、見識を深め、建設的な議論のための批判を提示しなければならない。

新型コロナ、いま宗教者に何ができる

新型コロナウィルスに関しては、日本や世界でさまざまな対応が行われ、反応が起きている。我々はまず、あくまでも科学的に状況をとらえ、科学的に思考し、科学的に行動しなければならない。
と同時に感染症は、病気だけでなく心の不安も拡大させるということにも注意を払っておかなければならない。