Category: 沈思黙考

遠くにある大阪万博

夜勤明けの土曜日、数時間ウトウトしたあとテレビをつけてみると、大阪万博の開会式の様子を中継している。ちょうど実力派音楽デュオが歌っているところだ。
天皇陛下や内閣総理大臣をはじめ重要人物が集い、おそらくかなりの練習を積んできたのであろう若者や子どもたちによる、質のいいパフォーマンスやビデオ・コンテンツが披露されている。しかし筆者は、見れば見るほど虚しさを感じてしまうのだった。あいさつに立った開催地の知事の表情も、「思い描いていたのとはずいぶん違ってんだけど…」といった気持ちが滲(にじ)んでいるようにさえ見えた。

オウム・統一教会、日本に欠落しているもの

旧・オウム真理教が関わった一連の重大事件とその周辺を考えるにあたり、いまだに忘れられている問題、あるいは意図的に避けられている問題があることに気づく。それは、「社会の中で正常に機能している宗教と、宗教を騙(かた)った単なる殺人・テロ集団との違いが説明されていない」ということだ。われわれ日本人がここを真剣にとらえなおす努力をしないのであれば、今後もまた似たような事が起きる可能性がある。

それはフジテレビだけなのか

かつて女性アナウンサー25歳定年制を採っていたフジテレビ。1月27日の夕刻から深夜にかけての視聴率推移は、どのようなものであったろう。ある男性タレントにかかわる疑惑についての記者会見である。結果として10時間を超えた会見は同局で生中継された。この事案そのものをあれこれ論じる気はないが、「ジャニーズ事件」を象徴的な例として、華やかな世界の裏側にあるものが、今年はさらに明らかになっていくのではないかという気がしている。また「SNS時代の記者会見」とでもいう現象を目にして、記者会見というものの意味についても考えさせられた。

2025年という節目

近い将来のことをあれこれと語ることは、世間にいくらでもある。卑近なところでは「占い」であり、難しいところでは経済予測だとか経営計画といったことだろうか。来年は2025年だが、筆者は今年の年末から再来年の初旬にかけて、なにか日本社会に、数十年ぶりの大きな変動が起こるのではないかとひそかに考えている。それは期待でもあり、不安でもある。

日本の戦後を決めた「意訳」

昭和20年(1945年)9月、昭和天皇(以下「天皇」)は、現在のアメリカ大使館となる場所へ出向き、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーと初めて対面、会談した。しかしその時の内容は、日本側とアメリカ側で記録が微妙に異なっており、令和の現在も議論が続いている。一番のポイントは「責任」という言葉を天皇が発したのかどうかということだ。「真実は必ずこうであるはずだ(こうあるべきだ)」などという決めつけや願望ではなく、考え始めるためのヒント、きっかけとなれば幸いである。

江戸城・皇居に天守閣がない理由

東京に住んでいたり働いていたりする人よりも、観光などで訪れた人の方が、素朴な疑問として感じるのかもしれない。「大阪、名古屋、姫路…、立派なお城はいくつもあるのに、肝心の江戸城(あるいは皇居)に天守閣がないなんて」と。筆者も若かりし頃、ボンヤリとそう思っていた。なぜ江戸城に天守閣が残っていないのか。これをきちんと説明することができ、さらに令和のいまにアナロジーをとって行動できる国会議員、あるいは都知事選候補者はどれだけいるだろうか。

100年前との奇妙な共通点

今年は2024年だから、100年前は1924年(大正13年)ということになる。しかし本稿では、100年前をザックリと「第一次世界大戦が終わったころ」としたい。なぜならその時の日本社会のありようと、令和のそれが、なにやら奇妙に重なっていると感じるからだ。じつは日本は、第一次世界大戦においては戦勝国であった。しかしそこからズルズルと悲惨な第二次世界大戦へと傾斜していく。「あの時期」を、いま一度確認してみることは、令和を生きる我々にとって意味があるのではないか。

裏山のリニア

先日、静岡県知事が任期途中での辞任を表明した。ここ最近では、リニア中央新幹線の建設着工に反対する存在として知られるような人物だが、筆者は彼が提唱していた「いざ裏山へ」というキーワードを思い浮かべながら、そのニュースを眺めていた(一般的には「リニア中央新幹線」と呼ばれることが多いが、本稿では基本的に「リニア」と表記する)。

虎に翼、人魚に両脚

NHKの連続テレビ小説「虎に翼」の第1週が終わった。とりあえず第1週を録画しておき、それを見てから今後も見ていくかどうかを判断しようとしていた筆者だが、第2週が始まった本稿執筆時点では、期待をもって見ている。そもそもこの「朝ドラ」は1961年(昭和36年)から、基本的に女性の自立、自己実現を描いてきた。放送開始から60年以上が経過したいま、日本女性はどこまで進化しているだろうか。