Category: 沈思黙考

惑わされない思考力

筆者の投稿も含めて「皆さん、こうしましょう。なぜなら〇〇だから」というパターンの主張が一定の理解や賛同を集めることがある。しかし時にはトリックや誘導が仕込まれていたり、奇妙な信念に基づいて都合のいい事実だけを集め、さらに都合よく練り上げた主張だったりする場合もあるようだ。特に健康にかかわること、今なら新型コロナウイルスについての「皆さん、こうですよ」には注意しておきたい。

感染症、本当の恐ろしさ

「怖さを知らないことが最も怖い」などと言うが、今まさにそのような状況ではないだろうか。コロナ感染であるないに関わらず、本来入院すべき人が入院出来ない状態の継続・拡大、自宅療養や入院調整という名の病者放置。政府は以前から現状を過小評価することに必死のようだ。専門家といわれる各医療者組織の上層に位置する人たちも、いまひとつ強く発言できていないもどかしさも感じる。この先、悲観的に準備しておいた者だけがマシな未来を迎えられるのだとすれば、今後の不都合なイメージを考えておくこともムダではないだろう。

令和の敗戦

政府関係者の「もの言い」が、いよいよ昭和の敗戦前夜のようになってきた。私たちは今後も冷静かつ強い問題意識をもって見ておく必要がある。そして感染症の本当の怖さは、感染者の苦しみ方や亡くなり方もさることながら、社会システムの崩壊と、人々にとっての世界観の崩壊なのだということを認識しておかなければならない。

権力のチラ見せ

西村経済再生担当大臣が、酒を扱う飲食店に対する方針撤回に絡んで謝罪を行った。この件で野党はもちろん与党内からも強い反発があったわけだが、じつはすべてが想定されたシナリオではなかったかと考えている。それはつまり「国家権力のチラ見せ」戦略である。またこれが単なる妄想なのだすれば、行政統治者たちはいま、手詰まりによる焦りからその権力を「アンダー・コントロール(制御下・支配下)」にできなくなっていることになる。

感染拡大、土石流、それでも祝祭オリンピック

7月6日、オリンピック日本選手団の壮行会・結団式が行われ力強い宣言が行われた。聖火リレーも着々と進む中、小旗を振る市民が並ぶ。勇ましく、華々しく、世界平和を目指す人道に基づく意義あるオリンピック。こんな様子を目にして筆者は、七十数年前の特攻隊の結団式、出征兵士を送る市井(しせい)の人々をイメージしてしまう。出来ることなら今からでも五輪は中止・再延期して、すべてのリソースを熱海へ注いでほしい。冷たい土砂・ガレキに埋もれたまま人間らしく食うことも排泄もままならない人たちを横目に、お祭り騒ぎをする気にはなれない。

東京ウイルス市場

6月22日夕刻過ぎ、東京五輪の開催都市であり主催者でもある東京都のトップが、過労と思われる理由で一週間政務を離れると発表した。激務が続いていたことは推測できるが、なにが主催都市のリーダーをここまで追い詰めたのかも気になる。もう一つ、筆者が皮肉を込めて表現していたKYOKO2020(強行2020)によって、日本がウイルス市場の役割を果たし、パンデミックを再加速させてしまう可能性も気になる。その際、日本から引き揚げて帰国しようとする選手や関係者を各国が一時的に拒否するような事態となれば、病原体や患者は日本国内に封じ込められることになる。

ウイルスと宗教

昨今はウイルス、ワクチン、免疫などというものについて、素人でも少しは勉強せざるを得ないような状況になってきている。そんな中で気づくことは、科学と宗教が必ずしも対立する概念ではないと言うことだ。また、科学に似非(えせ)科学があるように、宗教にも首をかしげたくなるものが存在することに共通点も感じる。今回はコロナ禍を機に誰もが多少なりとも考え始めている「人間とは何か」といったようなことを、あれこれと考えてみる。

そして悲しき国民A

ほぼ1年半が経過し、少なくとも2021年中は続きそうなコロナ禍。そのコロナ禍に関連した、気持ちが「ほっこり」とさせられるニュースやちょっとした美談などに、つかの間の癒しを感じることがある。しかし知らず知らずのうちに、ある方向へ持っていかれているかもしれないという感覚も、頭の隅には置いておきたい。

東京五輪は「令和のインパール作戦」

たとえ緊急事態宣言下であっても東京五輪は実施する、とIOCコーツ調整委員長が断言した。IOCの腹の底に「刈り取り」が済んだ後で極東の有色島民がどうなろうと知ったことではない、という感覚が潜んでいるのかどうかはわからないが、少なくとも日本の政府も経済界も「強行2020五輪」を表明している。「ほら、やっぱり日本人って歴史から学習できないヤツらなんだよ」という声が国外から聞こえてきそうだ。