Category: 沈思黙考

新型コロナ、前向きで建設的な批判を

新型コロナウィルスの感染拡大に関連した多くの問題に対して、さまざまな批判が挙がっている。
しかし批判といいながらその実、不安と苛立ちの中から出てくる単なる文句や、根拠も提案もなく、ただ騒ぎ立てるだけの「批判」もある。
いま日本人は、批判精神とはなにかを再確認し、脊椎反射のような文句ではなく、視野を広くし、見識を深め、建設的な議論のための批判を提示しなければならない。

新型コロナ、いま宗教者に何ができる

新型コロナウィルスに関しては、日本や世界でさまざまな対応が行われ、反応が起きている。我々はまず、あくまでも科学的に状況をとらえ、科学的に思考し、科学的に行動しなければならない。
と同時に感染症は、病気だけでなく心の不安も拡大させるということにも注意を払っておかなければならない。

新型コロナ、社会機能を維持する人々に感謝を

テレワークや在宅ワークという言葉をよく聞くが、いったいこの日本社会で、どれだけの仕事が遠隔でできるだろうか。
緊急事態が宣言されたいまも、現場で汗を流し、「いつもの社会」と同じように「緊急事態の社会」を支えつづけてくれている人たちは、じつは、ふだん我々がほとんど気にもかけていない、もしかしたら見下しているかもしれない人々である。
いまそういった人たちにあらためて感謝したい。
ざっと、緊急事態の社会を支えている人を思い出してみる。

選挙権売買も防止できるIT選挙

選挙の行方を議論するのもいいが、その手続きが果たして妥当なものなのか、私たちは考えなければならない。 筆者は「IT選挙」とでもいうものが、民主主義の革命的進歩につながるのではないだろうかと考えている。 だがその議論すらも盛り上がらないことが、今の日本の大きな問題点の一つである。今回の選挙も何らかの結果が出るわけだが、投票率と得票数を掛け算してみて、それが本当に民意を反映しているといえるのかどうか、「当選」した議員たちやそこから導かれる政権に「正当性」があるといえるのかどうか、よく考えなければならないと思う。

OJTという名の教育放棄

OJTという言葉やその概念を都合よく解釈して、じつのところ教育放棄をしている会社をよく見聞きします。いや正確に言うと、教育を放棄しているというよりも、教育のしかたを知らない、そもそも教育というものを教えられてもいない先輩社員、管理職が増えてきている時代に入ってきたということなのかも知れません。