2021年4月15日 アピールチャンス考 ここでいう「アピールチャンス」とは、あくまでもgooブログ会員に向けた一つのソフトウェアサービス・機能のことだ。自分が書いたブログ記事を、おもに他のgooブログ会員へ宣伝することができ、より多くの人に読んでもらえたり「いいね」などの反応が得られたりしやすくなるというものだ。ほぼ自己満足の世界とも言えるけれど、他者からの反応・評価が得られれば単純にうれしい。今回はこの仕組みについてあれこれと考えてみる。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年3月25日 「東京地裁」と「God」と「神明」 23日、元法相で衆院議員の河井克行被告(58)はそれまでの主張を一転、買収を認めた(議員辞職見込み)。3月3日の保釈後、親交のあるカトリック神父による「神の前で誠実であることが第一です...」という助言で決断したという。いっぽう妻の案里元議員の事件に関しては「...私と妻が共謀した事実は天地神明に誓って全くございません」と供述している。彼にとって、あるいは日本人にとって「神」や「誓い」とはいかなるものであろう。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年3月22日 4月5日から(ほぼ)無料で始める「学び」 何かを勉強してみたい。でも難しいのはイヤだしどうせ続かないに決まっている。そもそも講座を申し込むような金もない。そんな50歳代の筆者はNHKの高校講座で楽しくのんびりと学んでいる。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年3月10日 みずほ、システムに携わった端くれの愚考 2021年初旬、みずほ銀行はシステム障害が起きやすい銀行というイメージをさらに強固なものとした。個々の障害には技術的説明が付けられるだろうが、本質的な問題は人間組織として未だに「One」になれていないということではないか。巨大なコンピューターシステムの裏側には、常に泥臭い人間模様があるのだ。そしてこういったパターンは、種類や規模を超えて日本のいろんな大組織にあるような気がする。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年2月26日 愛知と名古屋の屈辱、そして古き手続き 「ほーんなもんバイト雇って書かせりゃぁ、ええんだわぁ」と発言した人物がいたはずである。知事リコールの署名簿に自分の名前が無断使用されていると届け出る人が次々と現れ、さらには亡くなっている人の署名まで大量に出てきた。日本は、選挙や署名のICT化を真剣に検討すべき時期に来ている。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年2月17日 オリンピックのあとに残るもの 五輪組織委は新しい会長を選任するようだが、辞任した人物も周辺の人たちも結局なにも学習できなかったようだ。大会実施の有無にかかわらず東京五輪はさらなる問題を発生させながら、国家的失敗プロジェクトとして五輪史と日本史に汚点を残しそうな気さえしてきた。しかしその混乱をも踏まえて我々は、今後の日本をどうしたいのかを自分の頭で考え、出来ることをやらねばならない。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年2月11日 五輪組織委はドラッカーが見た「職員会議」か また思い出したように問題発言をして騒がれ、その職を辞する人物がいる。しばらくぶりに出た発作のようにも思えるけれど、たとえ彼がその職を辞したとしてもこの種の問題は必ず今後もどこかで起きるはずだ。なぜなら彼のような人物を支える一群の人々がこの国に厳然と存在しているからだ。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年2月6日 どの世代にも負けないCAになれ! JALやANAをはじめ客室乗務員たちの多くが、コロナ禍によって別の企業・業種で働かざるを得なくなっている。また幼いころから努力してきた若者たちも、就職試験にチャレンジすることさえかなわずに苦しんでいる。しかしこの先しばらくの期間に体験することはすべて、未来の自分を輝かせるための貴重な土壌になる。今回はCAや、CAを目指している人たちにエールを送りたい。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年1月28日 政府・行政でもなく、営利企業でもなく 21世紀に入ってもこの国の政府には期待も希望も持てず、未来が見えてこない。今後もだらだらと続くであろうコロナ禍は、もう既存の仕組みや考え方では乗り越えていけないのではないか。我々が少しでも前向きに生きていこうとするならば、行政以外の力とりわけNPOのような組織や、地域的共同体意識を持つ一般の人たちの力が、未来を切り開いていくカギとなるのではないだろうか。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 0
2021年1月10日 もう20世紀型リーダーは要らない これからの日本に20世紀型のリーダーは要らない。21世紀もその5分の1が過ぎ去ろうとしているのに、日本の政治・経済・法律などの分野におけるありさまは、20世紀型の思考や発想を引きずるリーダーたちによって、未来に期待など持てない閉塞感に満ちてしまっている。コロナ後の日本社会で活躍する若者や子どもたち、そして本気で次世代のことを考える年配者・高齢者は、(後述する危険な落とし穴にも気を付けつつ)新しい21世紀のリーダーを求めていかねばならない。 カテゴリー 沈思黙考 Comments: 2