車いすのままタクシーに乗る人の意見

少し前、筆者は、「車いすに乗ったまま乗車できるタクシー」に関して、乗務員の自己犠牲的ボランティア精神に寄りかかっている、という指摘をした(「10月20日、タクシーが激減する?」)。これはつまり、タクシー乗務員側の視点で語ったものである。それで今度は、車いすユーザーの視点に立った話も考えてみたいと思い、あの投稿のあと、ある車いすユーザーの話を聞いた。もちろんそれは一個人の意見に過ぎず、代表的意見とはいえない。しかし一考の価値はあるだろうと思い、ここに書き留めておこうと思う。

来春、2倍に値上がりして一生涯続くもの

日本には、40歳になったら毎月5千円を死ぬまで払い続けなければならない制度がある。年間6万円の計算となるが、そのかわりイザという時には助けてもらえる。そのイザという時に発生する費用はもちろん大きな金額だが、多くの人にとってはその1割だけを負担すればOKということになっている。ところが来春(2024年春)から2割負担、つまり一気に倍増しそうなのだ。イザという時に使えない仕組みのために、我々は今後も金を払い続けることになるのだろうか。

10月20日、タクシーが激減する?

何らかの社会的問題を論ずる場合、いったい誰の犠牲によって、多くの人々が利便性や幸福を実現できているのかを視界に入れておかねばならない。
現在、ただでさえ捉(つか)まえにくいタクシーは、令和5年10月20日(金)、東京をはじめとする全国の都市部で、一段と捉まえにくくなるかもしれない。なぜなら、タクシー乗務員たちが出勤を控えようとするかもしれないからである。
これまで一度も自家用車を持ったことがなく、「タクシー&レンタカー人生」を生きてきた58歳の筆者が、長年にわたって多くのタクシー乗務員から聞き取ってきた話をもとに考えてみる。なお本稿でも東京地区のタクシー業界を基本に記述している。

Microsoft Advertisingの怪

パソコンなどで使用するオフィスソフトと言えば事実上、米国マイクロソフト社が販売している「Microsoft 365(旧称:Office 365)」が、世界的に最も使用されているといえそうだ。筆者もこのソフトウェアを使用しており、その使用料を毎月クレジットカードで支払っている。ところが今回、カード明細を見てちょっと考え込んでしまった。ただ結論から言えば、同社お得意の名称変更があったようである。

思い出のカセット、レコードを自分でデジタル化

それほど細かい部分に拘らず、低コストで、思い出のカセットテープやレコードをデジタル化したい。そんな思いを持っている筆者のような年齢の方は少なくないだろうと思う。今回は筆者の体験を交えながら、その大まかな道筋を解説していく。なお、CDを(いったんアナログ信号として取り出して)デジタルファイル化することも同様に可能である。

スマホ真理教

「スマホ真理教」なる宗教法人など存在しない。……たぶん。しかし筆者がここでいうスマホ真理教は、現代の日本社会においてひたひたと、その信者数を増やしてきているのではないか。信者のうち少なくない人々は、「スマホ様の言うとおりに物事は運ぶ」、「その通りにならないとすれば、そこに関係する他人たちが悪魔であるためだ」、そして「自分自身は決して悪くない」といった思考パターンに侵されている場合がありそうだ。生身(なまみ)の人間が作り出しているはずの現実世界を、ゆがんだスマホ真理教の世界観で生きようとする、一部の信者たちにスポットを当てる。

東京のタクシー運賃ウラ話

令和4年11月14日(月)から東京のタクシー運賃が値上げとなる。筆者は若い頃から一度も自家用車というものを持った経験がなく、車に関してはタクシー&レンタカー派の人間である(自転車も好きだが日本の交通社会では危険だと思っているので乗らない)。そういえば最近、都内でタクシーをなかなかつかまえられなくなってきている。今回は運賃の値上げを話の糸口として、東京のタクシーについて考えてみる。

国葬の見かた、見せかた

元首相の国葬については、周知のとおりその是非が盛んに議論されている。そしてこれに絡んで、関係する様々な論点にも人々の関心が集まっている。今回は、複数の問題が絡みついている元首相の国葬について、あまり細分化せずに考えてみたい。なお、今般のいわゆる「国葬」は、厳密には「閣議決定に基づく『国葬儀』」ということになるのだそうだが、本稿では読みやすさを考慮して国葬と記述する。

銃撃事件と不思議なニッポン

我々はいま、昭和初期の「そこへ傾斜し始める時期」と同じ潮流に立ち会っているのではないだろうか。
国政選挙の期間中に元首相が銃撃されて亡くなるということが、誰にとっても衝撃的であることには違いない。しかし同時に我々は、じつに不思議な状況を目撃していることに気づかなければならない。それは、まだ犯人の動機や背景もハッキリせぬうちに「暴力による民主主義への挑戦である」とマスメディアを中心に気炎を上げだす動き、シロウト目にもわかるほど稚拙な警護・警備体制、そしてなにより、政治家の非業の死と、生前の「実績」を差し引き計算しようとする空気である。さらに我々は「勲章」や「国葬」といったものが、令和のいま、いかなる意味を持ち、どんな作用を及ぼすのかを真剣に考え抜かねばならない。